【ホーボージュンのサスライギアエッセイ・旅する道具学12】第12話「銀輪少年の翼」
自転車「KONA / ROVE ST DL」

小学校4年生の夏に、親戚のお兄ちゃんからお下がりの自転車をもらった。それは1970年代に大流行した5段変速機と四角い2灯ライトを備えたスポーツ自転車で、全男子憧れのフラッシャーこそついていなかったが、僕にはまるでスーパーカー(当時のマイブームでいえばランチア・ストラトスだ)を手に入れたような気分だった。
チビで短足の僕に三角フレームはかなり大きく、地面に足を着くたびに金玉にフレームが食い込んで痛かったが、トップチューブに取り付けられたゴツくて大きな変速レバーをガチャガチャと動かしてディレイラーを操作するのは、まるで戦闘機のパイロットになったようで気分が良かった。
じっさい自転車は僕にとっては“翼”だった。それまで小学校と家と近所の空き地が世界のすべてだった僕が、この翼にまたがり、生活圏の外側に出て行けるようになったのだ。自転車で隣町へ行くことは、国境を越えて未開の大地に踏み入るような大冒険だった。僕は友達と連れ合い、ときには一人きりでドキドキしながらボーダーを越え、自分の世界を少しずつ広げていった。
「翼を授けよう」
昭和の時代にレッドブルはまだなく、世界で一番刺激的な飲み物は瓶入りのスプライトだったけど、僕はあの夏の日に、神様にそういわれたような気がしていた。お下がりの5段変速マシンは僕には自由への翼にほかならなかったのだ。
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16歳で原付免許を取ると僕は一気にオートバイに傾倒したが、それでも自転車には乗り続けた。’90年代のMTBブームのころは泥だらけになって山々を駆け巡ったし、20代後半にはフル・トライアスロンに夢中になり、ゴリゴリのロードレーサーで数々のレースに出場した。
それだけではない。35歳のときには自転車熱が最高点にまで達し、自作のスペシャルMTBで南米大陸の赤道(エクアドル)から大陸最南端(チリのパタゴニア)まで8,000km㎞を8か月かけて縦断するという冒険サイクリングも行なった。オンロードも、オフロードも、そして自転車旅も僕にとってはかけがえのないアクティビティーだったのだ。
そんな僕が還暦を過ぎて、また自転車に乗るようになった。自転車熱が再燃したのには「グラベルバイク」と呼ばれる自転車が登場したのが大きい。
これはアスファルトだけではなく、ダートやグラベル(砂利道)も走れる自転車のこと。
このカテゴリーはまだまだ玉石混淆なのだが、そんな中で僕が選んだモデルがコナの「ローブST・DL」だ。
コナは1988年にカナダのバンクーバーで創業したメーカーで、フリーライドやオールマウンテン系のMTBを得意とする。そんなコナが作ったグラベルモデルがこいつ。「通勤・通学からキャンプツーリングまでローブにできないことはない」といわれるほど完成度が高い。
僕がコイツを選んだ理由はざっくり3つある。ひとつ目はクロモリフレームを採用することだ。今や自転車の主流はアルミやカーボンだが、クロモリはしなやかで振動吸収に優れ、長距離走ったときに体に優しい。僕はもうレースには出ない。ただ遠くまで行ってみたい。だからクロモリが一番いい。
ふたつ目は650Bというタイヤを履くことだ。一般的なロードモデルに使われる700Cより直径が少し小さく、コンパクトで取り回しがいい。また慣性モーメントが小さいから踏み出しが軽く、街中のストップ&ゴーも楽だ。絶対的なスピードは700Cにはかなわないが、切り返しがキビキビするし、低重心なのでダートでの安定感もこちらのほうが優れる。
ちなみにローブは700Cのタイヤ(ホイール)を履くこともできる。好みと目的によって自在にチューニング可能だ。
3つ目の理由はフレームのあちこちに「ダボ穴」と呼ばれる部品取り付け部が用意されていることだ。これを利用すればキャリアや泥よけ、ボトルケージ、ギアラック、ライト、エアポンプなどがすぐに取り付けられ、カスタマイズが自在だ。
僕は野宿旅の際には、リアキャリアやフロントフォークに取り付けるパニアバッグを装着し、フル装備で出かける。その気になれば大陸横断レベルの旅を明日からでも始められる点がなんとも冒険心を刺激するのだ。
これはランクルやジープを愛する気持ちと同じ。普段は四輪駆動も大口径タイヤも必要ないが“アドベンチャー・レディ”なことが大きな魅力になる。
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夏の早朝、クリームのように濃い朝靄の中をゆっくりとペダルを踏み込む瞬間、あるいは寝静まった街を背に街路灯に照らされながら深夜の県道へと流れ込む瞬間、そして次々と押し寄せる木々の緑と木洩れ陽の煌めく中を泳ぐように漕ぎ、漕ぎ、漕ぎ、ダンシングを繰り返しながら坂の上に湧き上がる入道雲に向かって駆け上る瞬間、僕は夏休みの光景を思い出す。
残念ながら少年時代のような、期待と喜びで体じゅうの細胞が爆発しまくる感覚はもうないけれど、それでも口元に浮かぶ笑いはいまも止まらない。
いくつになっても男の子にとって自転車は自由の翼だ。僕はいまもそう思いながら、この濃紺の自転車を走らせている。







ホーボージュン
大海原から6000m峰まで世界中の大自然を旅する全天候型アウトドアライター。X(旧Twitter)アカウントは@hobojun。
※撮影/中村文隆
(BE-PAL 2025年9月号より)







