トロント在住フォトグラファーが、オンタリオの四季折々の自然美を送り届ける。
WIND from ONTARIO~森の海、水の島~
#1 巨大ムースとの遭遇
「おーい、ちょっと通して〜」
目の前に立ちはだかる巨大なムース(ヘラジカ)に話しかける。
早春のアルゴンキン州立公園でのカヌー旅。湿地帯の蛇行する水路を進んでいると、曲がったその先に彼はいた。大きな雄のムースが、水の中に頭を突っ込んで、一心不乱に水草の新芽を食べている。厳しく長い冬を過ごして消耗した体に、栄養を補給するためだ。アルゴンキンでは、野生のムースは保護されハンティング等の危険な目にあわないので、人間をあまり警戒しない。
僕は、ムースが水草を喰む音まで聞こえる至近距離での貴重な出逢いに驚いて興奮し、夢中でカメラのシャッターを切る。ひとしきり撮影した後、平静に戻って考えた。ここを通らないと、今夜の野営地には辿り着けない。
以前カヌーを下りた途端、腰まで泥にハマって身動きが取れなくなった。だから、重い荷物を担いで泥濘の原野を迂回するのは避けたい。なんとかムースに道を譲ってもらえないものかと、距離を詰めたり離れたり、嘆願の念を込めて話しかける……。
かれこれどのくらい時間が経っただろう。ようやくムースが重い腰を上げ、動いてくれた。
僕はカヤックを漕ぎ出しながら、ムースと共にした二人だけの時間に感謝した。そして、ありがとうありがとう、と手を振っていた。
カヤックの上から度々ムースと目が合う。3m以上はありそうなムースだが、僕のほうもカヤックと一体となって、体長4mを超えるワニのような生物に見えているはずだ(笑)。
アルゴンキン州立公園
撮影・文/尾西知樹(Tomoki Onishi)
トロント在住のフォトグラファー、マルチメディア・クリエイター、カヌーイストでサウナー。オンタリオ・ハイランド観光局、Ontario Outdoor Adventuresのクリエイティブ・ディレクター。カナダの大自然の中での体験とクリエイティブを融合させたユニット magichours.ca 主宰。
MAP/モリソン
(BE-PAL 2024年6月号より)