【我が人生の刃物回顧録】その② シースにいただいたニコル氏のサイン

2020.03.24 (閲覧数) 351

 また10月の第二土日に開催される関の刃物市には10年位毎年通った。ここもファクトリーものが多いが、中にはハシリの手作り製品も並ぶのであった。なにせ、掛け合いで値段交渉が楽しかった。加えてナイフ以外にも爪切りや枝切り鋏のような日常生活用品も多く扱われていて、見て回る時間が足りなかった。巨大(全長40㎝程度)なボウイナイフを買ったかな? それにマチエット(ブッシュナイフ)も購入したが、殆ど刃が付いてない代物で金剛砥石で刃付けをして砥石で研ぐが、鋼自体がでたらめで実用にはならなかった。
 関には、貝印やフェザーといった著名なカミソリメーカーもあって、何度か髭剃りルームにも訪れた。これは外出先で髭が気軽に剃れるということで、風呂上がりのような快適さがあったものだ。
 
 職場の先輩には何名かハンターが居て、ハンティング用のナイフをネット通販で頼まれて購入した。レミントン?とかブロウニングとか銃器メーカーの物が多かったが、それらは実猟で役立ったのか? 確かめていないので不明であるが、ドロップポイントの物は獲物の解体に使用されたのではなかろうか。

 バックのナイフはフォールディングもシースも集めたが、一番の思い出はシースナイフの♯120ジェネラルの思い出である。
 職場の関係で、講演会が開催された。講演はあのC.W.ニコル氏であった。かねてよりファンであったので、やたら持ち出せないジェネラル本身は自宅に置き、シースを氏に持参して丁重にお願いの上、サインをいただいた。シースには「〇〇〇〇〇〇〇〇〇」と墨痕鮮やかに(実際には白インク)記されていて生涯の宝物になったのである。
 ところが、この記事を書くにあたり、バックジェネラル(手元に在り)を確認したところ、牛革のしっかりしたシースがこともあろうに表裏とも見事にカビて大切なニコル氏のサインも消え失せていた! 残念の極み!!!

 成人して就職した職場は城下町であった。であるからして、鍛治町に鍛冶屋が現存してまだ営業していた。友人の実家の鍛冶屋で自動車のリーフスプリングから手斧(ハンドアックス)を作ってもらった。これも宝物の一つとなったが、全長27cm程度のものでヘッドからグリップまで一体構造であった。流石に鋼材むき出しのグリップはきついので、太めの緒を12cm程巻いてみたら、グリップ感が良くなった。元の鋼材がリーフスプリングなので、鋼厚が薄く丸太を割る際のパワーに欠けるというか、破壊力に乏しいのが唯一の欠点?であった。
 また、この鍛冶屋さんでは両刃の鉈も打ってもらった。これは刃に「樋」が入ったもので、全長27cm程度の小ぶりなもので、これはまだ手元に存在する。鍛冶師の銘も入っているし、硬い樫の木を削ったグリップをつけられている。これも宝物の一つである。

 家族が出来、子供が少々大きくなるに連れてキャンプに行く機会が多くなった。自然にキッチンツールとしての刃物を調達して使うようになった。
 ある時の行先が富山のチューリップフェアであったが、チューリップの後の泊地が利賀村であった。キャンプ地に至る前に寄った井波で打ち刃物の店を覗いた。失礼ながら田舎の鍛冶屋で素晴らしいプロダクツの大型シースナイフであった。とても欲しかったが、旅の途中で諦めた。店の名前も忘れたが、考えてみれば欄間の生産地であるこの町には、有るべくして存する名品の店ということかと納得した。別院瑞巌寺の寺門前の大通りに面したお店であった。

 ちなみに、この時の泊地である利賀村(現在南砺市)は、利賀フェスティバルなどが毎年開催される芸術の地でもあり、地元特産の豆腐が極旨かった。水分が少なく、旨味・コク味の塊で、しょうゆだけで薬味が不要な美味しさであった。また、チューリップフェアの頃だから、ゴールデンウィークであるが、テント泊の朝、テントのジッパーを開けるとバリバリと氷が飛び散るというその寒さには驚いた。

 こうしたキャンプ生活のせいか、娘も息子も現在でも家族で頻繁にキャンプに出掛けている。一昨年はジジババも連れて行って貰い、ご相伴に預かった。10人近くが2張りのテント泊であったが、ナイフを使ったキャンプ料理がとても旨くよい思い出となった。とりわけ段ボール箱利用の豚バラ肉の手製ベーコンが脂ぎってはいたが素晴らしい出来で、BBQの焚火で炙って食すのが野趣とともに絶妙であった。
 この時に同じフィールドで、乗用車(セダン)に荷を積んだカップルのサイトが素晴らしく、ティピー風のテントに凝ったタープを設えて、デコレーションに基づく気が利いていて、とても羨ましいようなテントサイトであった。なかでも持参の切り株にハンドアックスを打ち立てた表札代わりのデザインが、オヌシデキルナ!と感服。

 人生の終盤に至って、我々夫婦はヨーロッパを中心とする海外旅行に出掛けている。
 ヨーロッパに於いても刃物の歴史は古くて優れた製品を多く目にする。スイスではインターラーケンかバンフでビクトリノクスはじめアーミーナイフのミニサイズのものをばら撒き用の土産に買い込んだ。
 また、ヘルシンキでは港の市場でスカンジナビア独特のプーッコナイフを求めたが、結構値が張るのに驚いたものだ。しかし、それでも必死の値引き交渉も手伝い、国内の値段よりはかなり安いものであった。

 カナダのバンフでは革とシラカバの木で作られた凝ったシースのカナダインディアンのナイフも求めたが、刃が、切れ味がという代物ではなく、壁の装飾用であり、落胆をした。

 外国に行くと常に宿舎の周辺のスーパーマーケットやコンビニエンスストアを訪ねることにしている。目的は勿論ナイフを探すことである。雑貨屋でも有ればよいものに巡り合う確率は高いが、雑貨屋そのものがツアーでは行き当たらないのである。従ってコンビニでの物色となるが、まあ有っても肥後守のような実用ナイフくらいしかないものである。

 現在では、大きめのナイフで薪を削るバトニングなどをしている。これはテニスコートほどもある庭の植木の管理が趣味兼仕事であり、剪定の都度多く出る枝ごみの太いものを取っておき、長さ25cm程度に揃えて薪用に鉈とナイフで割っているのである。そして、それをミニストーブで燃やして湯を沸かすという、ミニながらエネルギーの回収を図っている。
 この作業は義務感でやるのではなく、薪割りと燃やすことそれ自体を楽しみながら行っている。まあヒマだからこそできる作業でもある。
 今、鉈は片刃大小と竹割り用に両刃の物の3本を使用している。先述のハンドアックスは実は勿体なくて使っていない。

 あれこれと書いてきたが、これが私の刃物との関わり・歴史である。冒頭にも書いたが多くの刃物との関わり~使用はあるものの、回数の多い転居のせいか?登場する刃物の中で、現在手元に残るものは多くはなく、一体今どこに居るのだろうか?と思いを馳せる旧持ち主がここに居るのみである。

genさん

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