「これをやっていくんだと、決めたんだ」 カヤック職人・水野義弘さんインタビュー | BE-PAL

「これをやっていくんだと、決めたんだ」 カヤック職人・水野義弘さんインタビュー

2020.06.10

屋久島の海を漕ぐ水野さん。 撮影/今野正幸

熊本に拠点を置くシーカヤックメーカー、WATER FIELD KAYAKS(ウォーターフィールドカヤックス)。細かなニーズに合わせた豊富なラインアップが人気の国内シェア№1のブランドだ。全国各地のプロガイドからの信頼も厚い。代表の水野義弘さんは工房と海を行ったり来たりしながら、日々カヤック作りに勤しんでいる。そんな水野さんは、いかにしてカヤック職人になったのか……? 根掘〜り葉掘〜り聞いてみたら、そこには一本気な職人然とした姿があった!

本気すぎて落選してしまった、あのテレビ番組

—水野さんはもともと、建築を生業としていたとか。

高校の建築科を卒業して設計の仕事に就きました。将来、建築屋としてやっていくにはいろいろ勉強しなきゃいけないと思いながら働いていましたが、机の上の勉強じゃないなぁと思ったんです。そこで、現場に行こう! と。東京の最先端の現場に飛び込もうと思って上京しました。

—一念発起して東京へ。現場主義ですね!

職人として勉強しようと、知り合いを頼って上京して、高層ビルの外壁工事の現場で働き始めました。だけど何年か働いて、お金もそれなりに貯まったけれど、おれには建築屋は向いてないかもなぁ……なんて少し悩み始めたんです。仕事を辞めて自転車で旅にでも出ようかな〜と思いました。

—自転車旅に!? 自転車はよく乗っていたんですか。

じつは25、6歳のときに、突然自転車を始めたんです。それは、『びっくり日本新記録』(※)というテレビ番組に出たくて、そのトレーニングのために。その番組は、手作り◎◎競争とかいろんなものがあるんだけど、「水陸両用車大会」というのがあったんです。「あ!おれの特技!」と思いました。優勝賞金は100万円。

(※)1975〜85年まで放送された視聴者参加型のテレビ番組。風変わりな種目にチャレンジするもので「人間のロマンとあらゆる可能性に挑戦する」人気の番組だった

熊本市内にあるウォーターフィールドカヤックスの工場。

—番組に出たくて、自転車を!

その番組に出たくて準備を始めました。物は作れるから、体を鍛えなきゃと自転車に乗るようになったんです。仕事の現場にも自転車で通ったり、地域の自転車チームに入って走ったりして、1年くらいトレーニングしました。それで図面を描いて番組に応募しました。

—いよいよですね。で、どうだったんですか。

書類選考で落ちてしまいました。必死でトレーニングを積んで、図面にも自信があったのに……。どうしてダメだったのか納得できなくて、電話したんですよ。そしたら番組の担当者に繋いでくれて。「ああ、水野さんですね。じつは最後の最後まで審査員で悩んだんです。討議した結果、落とすことになりました」と。テレビ番組っていうのは、みんなでわいわいとお祭りで楽しむものだから、ぼくが断トツで勝ってしまうかもしれないと。そういう話しでした。

—本気すぎたんですね(笑)。

本気すぎた(笑)。でも話を聞いて、審査員の人はちゃんとわかっているんだなぁと、納得しました。自転車に乗り始めてトレーニングしたりして、ちょっと人生も変わったし、テレビはいいかなと思いました。

お肉はひとり50グラム!?人生を変える出会い

—その後、仕事を辞めて自転車旅には出かけたんですか。

東京での仕事を辞めて熊本に帰ろうと思いました。27歳のときです。熊本まで自転車で帰ろうと走り始めて、一週間ほどで九州に入りました。なんだか距離はいくらでも走れて、ついでに沖縄でも行こうかな〜と、鹿児島まで行ってフェリーに乗りました。

—なんとなく旅がはじまったんですね。

気持ちの向くままに走っていましたが、いつしか日本一周旅みたいになっていました。その旅で、面白い出会いがありました。佐渡にいたときなんですが、道端にぽつんと自転車が置いてあって、それまでも何台かキャンピング自転車みたいなものを見かけたけれど、全然違う。すごい迫力だったんです。洗濯ばさみ、ちりとり、ホウキ……なんでも括り付けてあって。これは、トップクラスだ!と。それでどんな人が乗っているんだろうと、しばらく乗り手が戻ってくるのを待ったんです。

工場内部。ここでスタッフの内田さんと日々製作に打ち込んでいる。

—自転車からタダモノじゃないオーラが!

ぼくは初心者だったから、興味を持ちました。乗り手はタニガワエイジという青年でした。聞けば、彼は日本一周が、二周目だというんです! 尊敬しました。数日間一緒に行動して、山形くらいまでは一緒に行ったかなぁ。もう会うことはないだろうと思っていたけれど、それが北海道で再会したんですよ。

—北海道は広いのに会うもんなんですね〜。

偶然再会して、さらに親しくなりました。そのころぼくはアウトドアなんていう言葉も知らなくて、泊まりは普通に宿を利用していたし、半年くらいの旅でだいぶお金を使っていました。だけど、タニガワは全く違っていた。テント泊で旅を続けていて、逆にお金を貯めていました。「もうすぐ100万円になるから、そしたら海外に行くんだ」と。目が輝いていましたね。秀岳荘に連れて行ってもらって、ぼくはそこで初めてアウトドアの道具なんかを手にしました。

工場の窓からはのどかな田園風景、空が広い。

—同じ自転車旅でも随分違った環境だったんですね。

なんでそんな貯金ができるんだろうか?と思っていました。けれど、一緒にご飯を作って食べようと、買い出しに行ったときのこと。タニガワは「お肉はひとり50グラムもあればいいんです!」といいました。ニンジン1本、ジャガイモ1個、豚肉100グラム。ひとり100円もしなかった。それで鍋を作ったんだけど、旨かったなぁ。タニガワは、こんな贅沢をするのは2か月ぶりだと(笑)。ふたりで旨い旨いと頬ばって、おまけにお酒まで少し飲んで。十分だった。彼は「1日500円もあれば十分なんだ」といっていて、腑に落ちました。

—それは思い出深い経験ですね。

1日500円、納得しちゃった。タニガワはその後、予定どおり金を貯めて海外に行ったようなんだけど、南米で消息を絶ってしまいました。なにが起きたのかはわからないけれど……。でも、あのときタニガワと過ごした経験は後々、自分の糧になりました。

「おれはこれを一生やるんだ!」決心の根底にあったものは……

—カヤックを作るようになったのは、いつごろどんなキッカケだったんですか。

30歳のとき。そのころは熊本に戻って建築設計事務所をやっていました。出入りしていた営業マンが、あるときカヌーのカタログを持って来たんです。「水野さんカヌーしませんか?」と。ぼくは「いいね〜」といって、そのカタログ見せてもらって、こういう乗り物があるのかと、カヌーというものを初めて知りました。面白そうだなと。

—そのカタログを見てカヌーを買ったんですか。

いや、そのカタログに載っていたのは布製のものだったから、破れちゃうんじゃないかと思った。こういうのじゃないのがいいなぁ、なんて呟いたんです。そしたら、その営業マンが「水野さんは器用だから作ればいいじゃないですか」と。「そうかじゃあ、作ろうか〜」とね。それで人生が変わりました。

工場内。ウォーターフィールドカヤックスで扱うさまざまなモデルの型が並ぶ。

—えッ!? 乗りたくて、買うんじゃなくて作ったんですか!

そう、乗るために作った。単純です(笑)。試作を作るたびにその営業マンを呼んでね、有明海で漕いでみた。お、なかなかいいね〜なんていって。簡単にできるかなと思ったけど、思考錯誤しましたね。作り始めが乗り始めという。建築の仕事の合間を縫ってカヤック作りをしていましたが、1年くらいして、「おれはカヤックをやっていくんだ!」と宣言しました。楽しかったというか、自分の道っていうかな……これをやっていこうって決めたんです。ど素人だったけど、一生やるんだと決めたんです。

—カヤックの仕事が軌道に乗るまでは時間がかかりましたか。

そう。決心したけれど、10年くらいはこれで飯は食えないなとも思ったんです。10年間どうやっていくんだ?って考えるけど、やっていける自信はありました。それは、タニガワとの経験が腹に浸みていたから。1日500円、1年にしたら20万円。10年間はなんとか食っていけるなと思って。始めて5年目にはホエールウォッチャーというモデルを売り出すことができました。商売をやるだけなら、パパッとコピーしてすぐにできたかもしれないけれど、おれなんかはやっぱり10年は研究と下積みにかかりましたね。

「発明家」水野さん考案の5分割カヤック。持ち運びしやすく、旅の可能性が広がる!

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その後、水野さんの元には多くの人が訪れるようになる。シーカヤックで海を冒険したい青年、会社を辞めたカヤック職人志望の若者……。そのたびに「いいよ〜」と、大工の棟梁のように志のある人の世話を焼いた。いまや日本でシーカヤックをやっている人なら誰もが知っている、唯一無二の職人だ。いつでも研究熱心で現場主義。そんな水野さんの毎日は「カヤックをやっていくんだ!」と決めてから、おそらくあまり変わっていないかもしれない。

こんなフネはどうだろう? こんな感じにすればいいのでは? と、いつもよりよいものと方法を模索し続けている。そして、海に漕ぎ出てフィードバックを得る。そんな日々を送る水野さんがとても羨ましい。

 

水野義弘(みずの・よしひろ)
熊本県出身。ウォーターフィールドカヤックス代表。建築事務所を営んでいた30歳のときにカヤックに出会う。「乗ってみたい」と製作を開始、職人とカヤッカー両方のキャリアをスタートさせる。以来、国内屈指のカヤックメーカーとして数々のモデルを生みだす。最近はスケボーに夢中。

 

※構成/須藤ナオミ

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