「歩き三昧」TOPへ戻る>>
上高地は、長野県松本市の西部に位置する、南北に細長い小盆地です。標高約1500メートル、穂高連峰、槍ヶ岳など北アルプスの麓に広がり、古くから登山者の拠点として利用されてきました。新米ライター増田と、若手カメラマン高橋宗正を乗せたバスは、上高地の中心地・河童橋近くのバスセンターに到着しました。バスから降りた途端、マツヤニの香りが鼻を刺激し、森特有の静けさが耳に伝わってきます。大自然の真っ只中にやって来た。そう実感する瞬間です。
◆山は笑うのです
早朝の上高地。我ながらいい写真だと思っちゃったりして。マスミックスって名前でカメラマンデビューしちゃおうかな。いや、デジカメ専門ですけど。
取材初日。早朝5時にもぞもぞと起きだした私たちは、朝モヤの上高地を散策に出かけました。カメラ片手の宗正くんは、霧の向こうにうっすら見える北アルプスに興奮し、「うぉ〜」とか「きれいっすよ〜」とか、感嘆詞や形容詞ばかりを口にしながら写真を撮りまくっています。いや、素晴らしい。次々に写真を撮るということは、形に残したい瞬間をたくさん感じているということ。つまり感受性豊かな証拠だと思うのです。将来、大物になるなぁ、宗正くん。偉そうに言ってみましたが、実はコレ、事務所の先輩の受け売りです。でも、本当にその通りだと思います。
ところで皆さん、「山笑う」という言葉をご存知でしょうか。俳句の季語にもなっている言葉で、春先から初夏にかけ、山の木々が一斉に芽吹いている様子を意味しています。最近になって、この言葉にはシリーズがあることを知りました。春は新緑で「山笑う」、夏は青葉がみずみずしく「山滴(したた)る」、秋は紅葉で色付き「山粧(よそお)う」、冬は雪に閉ざされ「山眠る」。四季折々の山の表情を見事に表現したこの言葉は、中国宋代の画家・郭熙(かくき)によるものです。上高地を取材したのは8月中旬。夏の訪れが少し遅い上高地では、さしずめ笑い終えた山々が滴り始めた頃、といったところでしょうか。
◆すわ、ツキノワグマ!
魚がたくさんいますけど、これ釣堀じゃないですよ。梓川です。イワナやカワマスが生息しています。きれいな水で幸せそうですね。つ、つ、つりは禁止ですよ。
さて、取材です。上高地のトレイルは梓川の両岸に設置されています。行きと帰りで違った景色を堪能できるのも、上高地の魅力のひとつです。まずは梓川左岸(上流から見て左岸)を北に向かって歩き始めます。コースはカラマツの森を抜けるオフロード。道以外は一面クマザサで覆われており、まるで緑のじゅうたんが敷かれているようです。時折差し込む木漏れ日は、クマザサの上に緑色に光るラインを描き、幻想的な光景を作り出します。
ガサガサッ! 突然、木陰から物音がしました。前を歩いていた宗正くんが振り返ります。
「増田さん、今の見ました?」
残念ながら全貌は確認していません。ただ、クマザサの中に消えていく、獣らしき生物を一瞥したのは確かです。すわ、ツキノワグマか。ならば急いで逃げねばなりません。北海道で育った私は、ヒグマの恐ろしさを熟知しています。小さいとはいえ、ツキノワグマも立派なクマです。甘く見てはいけません。……という冗談はさておき、木から飛び降りたのはニホンザルでした。上高地には多くの動植物が生息しています。ニホンザルをはじめ、キツネやタヌキ、オコジョにツキノワグマ。奥地には特別天然記念物・カモシカも生息しており、運がよければ出会えるそうです。
明神橋が見えてきました。河童橋の上流に架かる橋です。この辺りは見晴らしがよく、青空に映えた明神岳がよく見えます。スケッチする人も多く、腕組みをして後ろから覗き込む人もいて、さながら上高地のアトリエといった印象です。また、この辺りでは登山者も多く見かけます。明神橋を渡らずにさらに先へ進めば、徳沢を経て槍ヶ岳へ向かう登山口に辿り着きます。これから山へ向かう人、たった今山を降りてきた人、ここは登山者の休憩の場でもあるのです。そうそう、ここで明治学院大学ワンダーフォーゲル部の好青年たちに出会いました。快く取材に協力してくれた石井君、岩本君、吉田さん、元気に山に登っていますか? BE-PALは、「グレートな農家になるため、海外に留学したい!」という石井君の夢を応援します。次の増刊「b*p」では、農業を熱く語るぜッ! って噂もあるので、その時は取材に行っちゃうかもよ。ガンバレ!!
◆「こんにちはっ!」少年登場
川の水は山からの雪解け水。手を入れてみたら、驚くほどに冷たい。北海道弁で言うと「なんまらしゃっこいべやぁ」。
明神橋を渡り、今度は梓川の右岸を南へ向かって歩きます。トレイルはクマザサの上に敷かれた木道に変わりました。自然を傷つけないよう配慮された道、しかも大変歩きやすい。木道は、ときおり小川の上を通ります。小川からはひんやりとした空気が流れてきて、のぞきこむとイワナの姿を見つけることができました。それにしてもたくさんいます。つ、つ、釣りたい。けれどダメなのです。梓川では、1975年から釣りが禁じられています。
前方から、少年がはしゃぎながら歩いてきました。すれ違う人全員に、笑顔で何かをしゃべりかけています。なんでしょうか。私とすれ違ったときにも、少年は笑顔でしゃべりかけてきました。
「こんにちはっ!」
なるほど。合点がいきました。上高地には登山客が多い。すれ違うときに挨拶を交わすのは山のルールですが、彼らはトレイルを歩いていても互いに挨拶を交わします。ここまで来る途中、私も何度か挨拶のやりとりをしました。この少年は、そのすてきなルールをどうやら気に入った様子です。
「おう、こんにちは!」
私がそう返すと、満面の笑みがさらにはじけ、嬉しそうに次の人へ向かって走り去っていきました。彼はこの日、いったい何人の人々に挨拶をしたことでしょうか。彼が挨拶をした人数は、おそらく彼が与えた笑顔の数と同じです。こういったやりとりに、歩くことの素晴らしさが秘められている。少年が身を持って教えてくれたよう気がします。
◆こんな優等生の自然は見たことない!
中腹に残雪が見えます。標高1500メートルの上高地ですが、周りを囲む山々は3000メートル級。1500メートル以上の標高差があり、仰ぎ見る角度は20度に達します。
取材2日目、昨日とは逆方向の大正池方面を歩きました。大正池まで行くと、歩いている人の雰囲気がガラリと変わります。おもに見られるのは観光ツアーの団体さんや、近くの帝国ホテルに滞在する避暑地セレブ(?)です。
一通り上高地を歩いてみて、この地の器の大きさを知りました。どの様な器かというと、上高地の中心である河童橋、そこを歩く人々の格好に統一感がない。つまり、普段着で楽しめるアウトドアから、槍ヶ岳に挑む登山家まで、多様なアウトドアスタイルが思う存分に楽しませてくれるのです。敷居は低く来るものを拒まず、志は高く万人を楽しませる。こんな優等生の自然は見たことがありません。
取材を終え、帰りのバスを待っていると、晴天がにわかに曇り始め、突然の土砂降りになりました。雨が降ると、山は急激に寒さを増します。その寒さから、上高地の夏の終わりと、足早にやってくる秋の気配を感じました。木々の葉が真っ赤に色付き、「山粧う」秋。上高地の紅葉シーズンは9月の下旬から11月上旬頃までです。
◆施設
上高地の宿泊施設は総じて高額。さらにハイシーズンはどこも満室で中々予約がとれません。そこで、アウトドアを思う存分楽しみたい人には、小梨平のキャンプ場をおすすめします。上高地の中心に位置し、貸しテントも用意されている良心的なキャンプ場。取材時にも若者から家族連れ、年配ご夫婦まで、さまざまな年代の人たちが思い思いのキャンプスタイルを楽しんでいらっしゃいました。
◆アクセス
東京からのアクセスは、まずJR新宿駅発の「あずさ」に乗車し松本駅へ。松本駅で、同駅始発の松本電鉄に乗り換え、30分ほど電車に揺られ新島々駅で下車。駅前のターミナルからバスに乗り込み、次第に濃くなる自然を楽しみながら上高地へ。ここで注意したいのは、自然保護と渋滞解消のため、上高地では通年マイカー規制が行われていること。自家用車を利用する場合、松本方面からは国道158号線沿いの沢渡、岐阜・富山方面からは同じく国道158号線沿いの平湯にそれぞれ車を停め、そこからバスまたはタクシーで上高地へ向かうことになります。
《筆者プロフィール》
増田謙治
北海道津別町出身。27歳。
小学生のときは剣道の網走王者。
歴史小説が好き。
back>>
↑このページのtopへ↑