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「地球のうたを聴こう」番外編 第23回 日本
あ、チンドン屋さんがやってきた! 安達ひでやインタビュー 文&写真:吉村喜彦
本誌「青空図書館」で好評連載中の吉村喜彦さんの「地球のうたを聴こう」。今回の番外編では、九州・福岡の若手チンドン屋、アダチ宣伝社・安達ひでやさんへのインタビューをお送りいたします。

 インタビューは台風一過の暑い初秋の午後、福岡・唐人町(とうじんまち)商店街近くのアダチ宣伝社の事務所で行われた。事務所に入ると、青い畳の匂いがし、周囲にはいろんな楽器が所狭しと並べられていた。その日は午後から商店街の画廊でイベント告知とパフォーマンスの仕事があり、安達さんはメイクをし、鬘(かつら)をつけながらインタビューに答えてくれた。
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●アダチ宣伝社はいつから始められたんですか?

A:1994年の春からです。11年と4カ月になります。’94年2月24日が第1現場です。ちょうど、ぼくの30歳の誕生日でした。
 チンドン屋というもの自体にずっと興味があった。
 なんせ見たこともないし、話の中でしか知らなかったんです。
 ’92年に篠田昌巳のチンドンのアルバムが発売されて、それに刺激を受けました。
 梅津和時がらみのジャズでもないロックでもない、そういうフリー・ジャズ的なところのあるものが、なぜかずっと好きで。
 山下洋輔トリオを初めて観たのが中学生のとき。ぼくは鍵盤に興味があったから、それを初めてテレビで観たとき、ものすごい衝撃を受けたんです。ああいう演奏をする人を今まで観たことがなかった。その後、セシル・テイラーみたいなアーティストにどんどんはまっていったわけです。
 ジャズでもない、ロックでもない、民族音楽でもないというものに、ひじょうに惹かれたんです。
 彼らの音楽というのは、有無を言わさない説得力というか、あざとさのない、自然発生的に出てくる力があると思う。

 ちょうど、あの頃、NHKで小泉文夫さんの番組を聴いていて、「なんて民族音楽って説得力があるんだろう」と思っていました。民族音楽は自然に生まれるもので、別に録音するために音楽をやってるわけじゃないですから。あざとくないんです。
 篠田昌巳がチンドンのアルバムを出したときに、録音するためにやってるわけじゃない音楽(チンドン)を録音することの後ろめたさを書いていましたよ。「自分としては、廃れてゆくものだから、どうしても記録に残そうと思ってしまうのだけど、やってるうちに、チンドンのみなさんは全然そんなこと考えていないのがわかってくる」と。
 おそらく、そういうのは音にも出てくる。
 篠田さんが世話になった長谷川宣伝社の親方が、ピット・インでの梅津和時のライブに出てほしいと言われたとき、「おれはそんなステージではやらない。その店の前だったらやる」と答えたそうです。普通、(ミュージシャン)だったら、ピットインに立ってみたいと思うのですが、そう思わないところがすごいですよね。

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●安達さんが音楽に惹かれたのはどのあたりから?

A:ぼくは音楽というか機械が好きだったんです。ラジオとかカセット・レコーダーとかをいじってるうちに、ラジオ放送をずっと聴いて、いろんな曲を録音した。今にして思えば、変な聴き方なんですよね。「いいうただな」って聴き方じゃなくて、「この音は何の楽器だろう?」とか「こういう音の入り方もあるんだ」とか。
 べつに音楽の勉強なんかしたことないんですけど。やっぱり中学生の頃から、ロックとジャズが好きでした。兄貴がレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドとか持っていたんで、それを聴いたりして。だから、同世代の人が聴いてるロックとはちょっと違うんです。その頃は、パンクやアメリカンなものが流行ったりしていたんですが。そういうのはあまり聴かず、インプロビゼーションの要素のあるキング・クリムゾンを聴いていた。
 ロックや小泉文夫さんの番組といい、なんとなくコマーシャルじゃないもの、ですかね(笑)。

●コマーシャルじゃないものに出会って、いま、コマーシャルをやってる(笑)。
 ぼくもサントリーで宣伝の仕事をずっとしていたんで、同じ宣伝業に携わった人間としてチンドン屋に興味があるんですが、チンドン屋というのは売るためにあるわけですよね、音楽家集団というよりは。そのへんが、すごく、おもしろい。

A:そうなんです。「チンドンは宣伝業である」と気づいて、自分の中で、いろんなことが解決したんです。
 ブラス・バンドをやってる人から「チンドン屋では、サックスやクラリネットなどの高音域の楽器を使うけれど、ホルンやチューバ、ファゴットなどの中低音域の楽器がなぜ使われないのか?」という質問を受けたことがあるんですが、そういう質問はチンドン屋がバンドだと思っているからなんです。
 チンドン屋は街頭宣伝業なのですから、いろんな現実的な条件の中で仕事をしなければならない。管楽器は一つしか雇えないんです。
 歌メロはうたえた方がいい。軽い方がいい…と考えていくと、そういう楽器編成になっちゃう。編成は音楽的な要請からじゃなく、いろんな「条件」から生まれる。
 チンドン屋が始まった明治時代などは、10人くらいで町を練り歩いています。軍楽隊からあがった人が管楽器を担当していたので、たしかにチューバもいたし、鉦(かね)の人は鉦だけ叩いた。太鼓の人は太鼓だけ叩いた。チンドン太鼓がまだ発明されていなかったんですね。
 結局、他のライバルがいるんで、「うちは、これくらいの金でやりますよ」とやってるうちに、チンドン太鼓を発明して、鉦と太鼓と一緒にして、一人で担当することになった。

●写真と文章を一人でやるようなものですね。

A:そうですね。取材費が安くなる。職業ですから、人件費が少ないというのが好条件になります。「職業である」ということがわかれば、「なぜチンドン屋はこうなんだろう」というのがほとんど解決しますね。




●いまのチンドン屋の基本的編成は?

A:チンドン太鼓、ゴロス太鼓(大太鼓)、管楽器。
 管楽器では、アルト・サックスが一番多い。トランペットは覚えるのが難しい。アルトはとっつきやすい。音が出やすい。音域がちょうどうたの音域と似ているので、うたメロの運指が難しくない。


●最低3人いれば、チンドン屋ができる。

A:3人であることが多いです。

●いま、アダチ宣伝社は?

A:町回りをするときは、その3人が多いです。イベントのときは、ゴロスは持っていくけれど、その人がバンジョー弾いたり、アコーディオン弾いたりします。イベントのときは、持ち替えがあった方がいいんで。
 チンドン太鼓は基本的に全員が叩けるように練習するんです、今は。

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●管楽器はサーカスを辞めた人や軍楽隊を辞めた人を借りてきた。

A:チンドン屋というのは家でやる商売なんです。親方や女将さんがいる。その二人で商って、仕事が入ると、管楽器奏者を楽団から雇ってくる。
 そうすると、楽団の人は、当時のチンドン屋に対して優越感があるもんだから、「おれはそんな変てこな格好しねえよ」となるわけです。そうすると、親方と女将さんは化粧して着物きているんだけど、東京の管楽器の人はそのまま演奏する。で、しゃべらない。口上のときもしゃべらない。
 親方がチンドン太鼓。女将さんがゴロス。で、どこかから管楽器を引っ張ってくる。管楽器奏者は手伝いであって、なおかつ、ギャラが少し高い。東京のチンドン屋がそういう形をつくりだした。


●チンドン屋の発祥はいつなんですか?

A:幕末の弘化2年(1845年)に、大阪・千日前で飴売りの飴勝(あめかつ)が始めたと言われています。それまでは他の商売を宣伝するという「宣伝の商売」はなかった。飴を売るためにいろいろ面白い口上を述べていた飴勝が評判だったので、「うちの寄席の前で呼び込みをしてくれないか」と頼まれたのが始まり。

 最初は拍子木だけで、口上を述べていたそうです。その後、明治時代になって、鉦を使ったり、太鼓を使ったり。今みたいな扮装を始めたのは太平洋戦争後ですね。ヅラつけだしたのは。

●どうしてヅラを?

A:とにかく目立とうとしたんですね。チンドン屋さんも何軒もあるから。とにかく、うちの方が他のチンドン屋よりも上だと。うちはチャンバラもするんだと。テレビもない時代ですから、道端でチャンバラとかすると、人がたくさん集まるんですよ。そこでチラシを配る。ひじょうによく考えられてますよ。
 今のチンドン屋の形式(化粧をして、着物をきて、楽器をならして、という形)は、この100年の間に行き着いたものなんです。


●進化の形が面白いですね。削ぎ落としていくプロセスが。

A:明治になって勇亀(いさみがめ)という人が「とざい、とーざい」と口上を切り出したので、「東西屋」と呼ばれるようになり、やがて大阪から東京にこの形式が持ち込まれ、「広目屋」という屋号で宣伝楽隊がつくられたんです。元軍楽隊などを集め、企業の宣伝や運動会のマーチ演奏の仕事を始め、「広目屋」は広告宣伝業の総称にもなりました。
 大正から昭和の時代にかけて、それまで各人が持っていた鉦と太鼓を木枠にまとめて一人で叩くチンドン太鼓が開発された。鉦のチンという音と、太鼓のドンという音が合わさって、町の人たちがこの職業をチンドン屋と呼び始めたんです。そこもちょっと面白い。
 昭和初期にはサイレント映画からトーキーの時代になり、それまで映画館で働いていた弁士や楽士の中でチンドン屋へ転向する人が出てきた。そして、サーカスの楽団からもチンドン屋に転向する人も出てくる。


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●マスコミ広告がどんどん強くなる中で、チンドン屋はどういう状況だったんですか?

A:昭和30年頃が、チンドン屋は一番多かったみたいですね。
 マスコミ広告の影響力があまり強くない頃、市民の理解できないものが発売されたとしますね。
 たとえば、「味の素」が世に出たときです。
「味の素」って何だかよくわかんないですよね。
「塩でもない。胡椒でもないよ」と言われても、意味がわかんないんで、「味の素ってこういうものですよ」というのを各地のチンドン屋を雇って、説明したんです。(1909年。明治42年)

●いま、日本でチンドン屋はどのくらいあるのですか?

A:富山のチンドンコンクールに出ている人ということでいくと、全国で約30組くらいですね。

 全般的には東京が多いですね。でも、現実に東京のどこそこで見られるかというと、なかなか見られない。今日はパチンコ屋、明日は居酒屋とシブイところで仕事してるんですけど、ぼくがこの前、東京に行ってもなかなか出会えなかったですね。広くて、人も多いから。

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●安達さんは「たけのうちカルテット」というバンドで「イカ天」にも出られていましたが、高校時代はクレイジー・キャッツやあきれたぼういずも聴かれていたそうですね。

A:’83年くらいからちょうど復刻版ブームだったんです。その頃、クレイジー・キャッツのシングル5枚組が2種類あって、それを買ってきたんです。あきれたぼういずも復刻版が出た。中村とうようさんが解説して。「ミュージック・マガジン」にも特集されたりしました。あきれたぼういずのアルバムを聴いたときに、「これが昭和10年代の録音なんて、すごい!」と思ったんです。「こんなにお洒落なものがあったんだ!」と。
 戦前のものは古くさいとか、浪曲は古いとか、そういう妙なイメージがありますが、エノケンさんでも、みんなそうですけど、ものすごくハイカラなことをやってますよね。
 昔の人の方が、逆に、少ない情報の中で、おもしろいアイディアを見つけてきたんじゃないですかねえ。洒落たこと、してますよね。クレイジーにしても、あきれたぼういずにしても。びっくりしますよね。衝撃でした。


●高校時代のバンドはどんな音楽をやってたんですか?

A:アート・ロックとか言いながら、できもしないのに、インプロビゼーションとかやってましたねえ。何かガラクタをもってきて、カンカン、カンカン、スティックで叩いたりしてよくわかんないことやってましたねえ(笑)。いけないですねえ。あんなんじゃ。


●大学時代には、ステージから客席にダイブしていた。

A:バンド・ブームの頃ですね。たけのうちカルテットの頃です。そんなことやってましたねえ。
 なんていうかせっかく舞台に立てたから、できる限りのことを力一杯やろうという気持ちでしたね。たとえばギターのピート・タウンゼントみたいに腕ぐるぐる回して弾いたりして。
「おいおい。そこまでして弾かなくていいだろう」と思うんだけど、そこまでしないとダメなんですよね。
 人前に立ってるんですから。お金を払って見ていただいているんですから。
 音楽的なところじゃなくて、ですね。曲だけで勝負できる人というのは、いいんでしょうけど。やっぱり当時のぼくらのバンドは、そうじゃなかったから。「でも、この人、何だかわけわかんないけど、面白いなあ」と思ってもらわないと、いけないなあと思っていました。
 だって、芸能の世界というのは、「この人、一見の価値があるな」「この人、何するかわかんないな」とか、がないと。
 めちゃくちゃルックスがいいとか、めちゃくちゃ楽曲がいいとか、でなければ、何で勝負するかってことですよね。(ま、勝負ってこともないですけど)
 何がその人の魅力かってことです。
 チンドン屋もそうなんです。
 演奏の上手い、下手ってのも魅力の一つですけど、何か魅力があれば、お客さんが集まって見てくれて、宣伝になる。
 魅力のあるチンドン屋にならなければいけない。そのために、できる限りのことをやろう、と。


●魅力のあるチンドン屋とは?

A:人が集まる、というのが先ず大事。ただ、ぼくは、やっぱり、人柄が大事だと思う。あまりにも「あざとい」のは、嫌だし。
 あまりにも反則技みたいなのも嫌だし。
 基本的にはチンドン屋の先輩方がつくりあげてきた路線を守りながら、親方として魅力のある人、人の気持ちをつかめる人になれればいいな、と思います。


●反則技というのは?

A:たとえばチンドン太鼓もやらずに、いきなりジャグリング(お手玉)ばっかりするとか。ま、それもチンドン屋の一要素ではあるんですけど。
「あ、チンドン屋がやってきたんだ」というのが大事なんです。
「バーカ、カーバ、チンドン屋」と職業的にも蔑まれているチンドン屋のイメージを上げなきゃ、と思っています。
 チンドン屋さんが、もっと可愛くて、カッコよくて、素敵なもんなんだ、てみんなが思ってくれたらいいんですけど。


●「可愛くて」という言葉を一番最初におっしゃったのが印象的なんですが。「可愛くて、カッコよくて」というのが宣伝業の基本だと思うんです。

A:可愛い方がいいですよね。


●キュートであること。

A:カッコいいが一番じゃないですよね。可愛いが一番ですよね。


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●チンドン屋の仕事の内容は「口上、演奏、動き、ビラ配り」ということですが、「動き」というのは?

A:「ここを背中にして、こうしゃべった方がいい」とか、町の構造を歩きながら見るんです。「この角がいいんじゃないか」と。


●ビラ配りの時には、サンプリングもあるんですか?

A:あります。代理店の仕事のときには、そういう人がまた別についたりするんです。不思議なもんでですね、そこにミニ・スカートはいたお姉ちゃんが横についたりする変わった仕事もあります(笑)。
 ぼくがちょっと心配なのは、そのお姉ちゃんたちとチンドン屋が同じ仲間であるというふうに、町の人が見てくれるかどうか、という問題ですよね。
 別の団体だと思われたら、あまり宣伝効果がないんじゃないか、と思うんですけど。

●いま、クライアントはどういう方々なんですか?

A:代理店仕事が多いんです。町回りよりも、祭みたいなのが多くて。祭の宣伝を会場の内外でやる仕事です。
 直接クライアントからいただく仕事もありますが、大きな代理店が何千万円もかかるイベントを請け負って、その下の下の、下請けの代理店から「じゃ、町回りの部分はアダチ宣伝社で」と、うちに仕事が来る。


●代理店仕事はどのくらい?

A:7割くらいですね。そういう時代なんですね。昔は、たぶん、なかったと思いますが。


●アダチ宣伝社の現在のメンバー数は?

A:アルバイトを入れて14人です。


●いま、チンドン屋に入ってくる若者が増えていますが、それはなぜですか?

A:ぼくと同じ理由じゃないですか?
 音楽が好きだったり、パフォーマンス感覚で入ってくる人は多いですよね。
 20歳代で入ってきて、最初に振り分けられる段階があるんです。
 実際にチンドン屋をやってみると、「あ、これは音楽ではない」と気づくわけです。
「これは宣伝なんだ。商売なんだ」と。
 そこで続くか続かないか、です。


●安達さんはいつ頃、気づかれたんですか? チンドン屋は宣伝業であると。

A:チンドン屋を始めて1年後に、富山の全日本チンドンコンクールにでたときに、みなさん、音楽的な雰囲気じゃないのがわかったんです。
 商売として考えていることをそのとき知ったんです。
 東京や大阪の親方たちと知りあって、ほんとうに勉強になりました。
 ぼくみたいなのは、新人としては真面目な方なんですよ。
「一日中、こんな演奏できるか」と言って、辞める人もいる。
 チンドン屋って見てるだけだと、「楽しそう」って思うでしょう?
 あれ、楽しそうに見せるのが商売ですからね。「楽しそうに見せる商売」ですから。
 実際にやってみると、「なんだ。楽しくねえな」ってなる人もいるわけですよ。
 そこでまた振り分けられますよね。
 で、残る人の気持ちなんですけど。ぼくの場合は、なんだか悔しかったんですよ。
「できると思っていたのに。どうして、年寄りの親方たちに体力的にも負けるんだろう?」って。要はペース配分が上手い。そういうのが悔しいんです。
「楽器できるから、やってみよう」と思ってチンドン屋を始めて、その「できなさ加減」にショックを受けて、「頑張らなきゃ!」と思うか、思わないかですよね。


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●チンドン屋って、「間(ま)」がありますよね?

A:ええ、そうですね。間は大事ですね。そういうのって、やっぱり、やってやって、やり続けて覚えるしかないんですよね。


●やっぱり、職人の世界ですね。

A:んー。ある親方なんか見てると、厳しいこと言うわりには、自分は怠けてばかりいるんです。
「チンドン屋っていうのは、わからないように、どれだけ休むかが仕事なんだ」って言う(笑)。
 だから、雇い主に対して「じゃ、町まわってきます」って言うと、ふつう、雇い主は後ろから見張ってついてこないでしょ?
 で、テキトーに公園で休憩して、テキトーに御飯たべて、夕方帰ってきて、「お疲れさまでした」って感じですから。ものすごく休憩とる親方いるんですよ。ほとんど公園で休んでいたり(笑)。


●じゃ、実働時間は親方によって全然違う?

A:そうですね。違います。
 仕事の取り方から含めて、「植木屋さん」と近いですね。
 植木屋さんって、だいたい一人親分じゃないですか?
「明日、3人来てください」って雇い主に言われたら、仲間を連れていって、自分が親方で自分が金もらって、その中から仲間にお金渡すでしょ?あれに近いですね。
(こんなこと言ったら、植木屋さんに怒られるかもしれないけど)
 植木屋さんもよく休むし(笑)。
 ダラダラダラダラ仕事するじゃないですか(笑)。
 みんな一人ひとりが親分なんですよ、結局。
 今日はぼくが親分。明日はあなたが親分。


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●今後のチンドン屋としての夢は何ですか?

A:世界中の街角でチンドン屋をやってみたいですね。街の人たちとチンドン屋というかたちで交流したいです。

●「チンドン屋、世界を巡る」って面白いですね。


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