東名高速など長距離を走っているときは、たいていラジオ番組を聴いている。あるとき、次のようなやりとりがあった。ゲストの女性歌手(名は失念した)がバリ島へ行ってきたという話をしている。
歌手「毎日、夜になるとね、ダットゥー!っていう、何か大きな声がホテルに聞こえてくるんですけど、それ、何かわかります?」
パーソナリティー「ダットゥー!ですか? 何だろう…。鳥じゃないですか?」
歌手「最初はそうかと思ったんですけど、ぜんぜん違う感じなんです」
パーソナリティー「まさか、妖怪?」(笑)
車内で一人つぶやく。ほほう、バリ島にもトッケイがいるんだ…。分布の南限あたりだな。
家内からは、以下のような話を聞いた。結婚前のことである。妹と二人でタイのプーケットに旅行に来ていた。夕食を終え、外を散歩していたときである。植え込みのあたりから、だしぬけに、「カッ・クー!」というやけくそのような声が轟いた。
「なに、今の!」
「カッ・クー!って言ったよね!」
「カッコウかなあ!? でも、こんな暗いのに?」
「もう、部屋へもどろうよ〜!」
その奇怪な大声は、はるばる日本から来た観光客を震撼させたのだった。
「ああ、それはトッケイっていう大きなヤモリだよ。人家とかその近くに棲んでいて、暗くなると大きな声で鳴くんだ」としたり顔で解説したものの、考えてみれば僕はトッケイの鳴き声を聞いたことがなかった。
トッケイはオオヤモリの名で古くから知られ、大声で鳴くことも有名である。なにせ、鳴き声に由来するこの種の学名Gekko geckoは700種以上を擁するヤモリ科Gekkonidaeのもとであり、ヤモリの英名までgeckoにしてしまった。つまり、トッケイがいなければ、ヤモリは世界で広くgeckoと呼ばれることもなかったのである。その体格といい、トッケイは「ヤモリの総大将」といった観がある。
これは、ヤモリストでもって任ずる僕としては、ぜひとも野生のものを見ておかなければ、また聞いておかなければいけないヤモリなのだ。だいたい、「ダットゥー!」だの「カックー!」だの、「トッケイ」または「ゲッコウ」とは鳴かないのだろうか。千石正一氏は「タックトゥー」と表現していた。もっとも、「聞きなし」というものは人によってかなり差があるものだ。
ホテルへ向かう車中で運転手に尋ねると、思った通り、ホテルにも出没するという。このために、自然度の高いところに建つホテルを選んだのである。しかし、そのホテルの場合、トッケイは四階建ての屋根のあたりにいて観察しにくく、しかも「Sometimes」だという。それは難儀だな…。
マレーシアの夜がやってきた。そそくさと三脚にカメラを取り付け、懐中電灯をさげてホテル内の探索に繰り出す。すぐに、ルームメイクの女性に出会う。夜間に他人の家を見て回るニホンヤモリの撮影と同じで、誤解を招きやすい行動を自分がとっていることは十分承知しているので、先にこちらから話しかける。「ドゥー・ユー・ノウ、『トッケー!』?」これですべてが伝えられる。「アア!」とにっこりして、鶴田真由似のルームメイクが教えてくれる。「それなら、三号棟のエレベーターで四階まで上がった、渡り廊下わきの壁で見ますよ」
つきとめた! いなかったときにがっかりしないために聞く。「Sometimes?」すると、彼女はきっぱりと「Always」
なんだ、やっぱりコカコーラのような奴だったんじゃないか! 四階に着いたエレベーターの扉が開く。はい、いました!
こちらの壁に2匹がやや離れて、あちらの壁に1匹が張り付いている。他の人はどうか知らないが、学者やマニアしか知らないような珍種より、こういう有名な爬虫両生類を野生状態で見たときの方が、僕は喜びを感じる。そのわけは、子供のころからその存在を知っていたという認識の時間の長さ、それに、実物さえ日本でいくらでも目にすることができる(ペットショップで売られている)のに、野に生きる彼らの映像がないというギャップを、一挙に埋めてしまうカタルシスがそこにはあるからだ。大自然の中で生きるマタマタやベルツノガエル、メキシコサラマンダー(商品名ウーパールーパー)なんていうのも、ぜひ見てみたいものである。
この夜は、娘がすでに寝ていた。部屋に一人寝かせておくわけにもいかず、妻には翌日の夜にトッケイを見せた。
「これがトッケイかあ…。おしゃれな模様だね。昨日は鳴かなかったの? そしたら、姿は晃ちゃんもあたしも見たけど、鳴き声を聞いたのはあたしだけだね!」
そうなのだ。このヤモリが鳴くのは社会行動の一環であって、ケージ飼育の、縄張りも形成できないような狭い環境では、彼らの歌声を聞くことなどとてもおぼつかない。せっかく彼らのフィールドに来ているのだ。なんとしても聞きたい。まあ、帰るまでには聞けるやろ。
小ぬか雨ふる、マレーシア最後の夜。両生類が活動しているだろうと、ホテル付近の森へと向かう。道にちょこなんとヘリグロヒキガエル。はいはい、いま撮るから待っててね、ともたもたしているうちにきゃつは藪の中へ。ガマに逃げられるなんて、疲れているなあ。と、そのとき。「トッケイ…トッケイ…トッケイ…トッケイ…」これか! ホテルのほうからだ。トッケイが7回連続して鳴くと幸運が訪れるという伝承がある。カウントしてみよう。「トッケイ…トッケイ」10回というのはいかがなものか。
それは幻想的なひとときだった。何とはなしに、けたたましいというかヒステリックな鳴き方を想像していたが、なんて落ち着き払った鳴き方なんだろう。二拍で鳴いて、二拍休む。じつにリズミカルだ。「トッ」は5度ほども尻上がりするように聞こえ、「ケイ」で1オクターブも下がる。声は思ったより野太く、YMOの曲「テクノポリス」のイントロ「トキヨウ…トキヨウ…」にとても似ている。もっとも、これはかなり離れたところで聞いたせいかも知れない。その後ホテル内で聞いたときはもっと甲高く、強いて言えば「ドラえもん」のスネ夫に似ている。いずれにしても加工された人間の声を思わせるところがあり、状況によってはドッキリさせられるのもむべなるかな、である。
しっとり濡れて部屋へ戻る。にやけているのが自分でわかる。
「聞いたぞ」
「良かったねー!」
1時間ほど後、トッケイは、部屋にまで届くところで歌ってくれた。 トッケイが共通の話題になってから2年、夫婦でいっしょに鑑賞できるなんて素敵なことだ。二人の間にはルームサービスのシンハビールとキャンドル付きナシゴレン。昼間はしゃぎまわっていた娘は、とっくに夢の中。 |