◆第1章 東海・関西編(49ページより)
伝説の旅人、ともいうべき男の存在を知ったのは、北海道の友人を訪ねたときだった。
耕うん機で日本縦断をしているぼくに、友人は「30年前にこんな人がいたんだよ」と1冊の本を差し出した。それは耕うん機で日本一周した旅人が書いた紀行本で、『ひとりぼっちの夕焼け』というタイトルだった。
著者は松山清一さん。本に掲載されていたプロフィールによれば、松山さんは1948年京都福知山生まれ。67年福知山高校卒。その後2年間、京都の現像所に勤務したのち、大阪の写真専門学校に入学。71年3月卒業。同年5月耕うん機で旅に出る。72年9月から週刊誌、新聞、テレてなどで紹介され、74年9月、満3年、4万5000kmにわたる日本全国の旅を終え上京。同年12月、新宿の小田急百貨店で、旅の途中に描きためた油絵の個展開催……と書かれてある。
その本を手にしたぼくは、夢中になって30年前の耕うん機の旅を読み、そして松山さんに無性に会いたくなった。
◆第2章 四国編(87ページより)
「約束はできないけど、スケジュールが合えば、大丈夫じゃないかな。橋本さんは高校生でも面会を申し込めば会ってくれる人だし、以前に取材で面識があるから、とりあえず交渉してみるよ」
橋本大二郎さんは全国的に有名な革新的知事だ。長野県知事になつた田中康夫氏が「橋本さんだけは別格ですから」と、当選直後に高知県庁へあいさっに伺ったように、民意を汲む知事の第一人者でもある。
ぼくはビーバルに掲載された仁淀川の漁師との対談記事で「50年に一度の洪水のために、あとの49年と360何日かの魅力的な川を棒に振るのもいかがなものか」という意見を読んで以来、橋本さんに共感を覚えるようになつた。
とはいえ、排うん機なんかで旅している真面目とはいえないぼくなんかと会ってくれるものだろうか。
◆第3章 関西・中国編(191〜192ページより)
岡山には大型書店の丸善もあるし、紀伊囲屋もある。
おおいに期待して丸善を訪れると、ちゃんとぼくの本が平積みにしてあり、ほっとした。が、素直に喜べなかった。『日本縦断オフィシャルガイド』はアウトドア・コーナーに平積みにされていたが、『耕うん機オンザロード』は、なぜかタレント本コーナーに積まれていた。ぼくの本の隣は、岡田美里と飯島愛である。
う−ん……。悩んだぼくは、思いきって店員に打ち明けた。
「あのう、私はこの本を書いた作者ですが、お願いがありまして……」
唐突な切り出しに書籍担当の店員は面食らったようだった。
◆第4章 九州編(269ページより)
そして午後3時半。耕うん機に装着しているカーナビのスイッチをテレビに切り替えた。W杯の準々決勝、スペイン対韓国のキックオフの時間なのである。
電波の入りがいい場所にテラを停め、小さな画面を見つめた。試合は後半が終わっても決着がつかなかった。さらに、延長でも決着はつかず、ついにPK戦に突入した。
ワクワクしながら画面を見つめていたら、キャーツ! という女性の声が聞こえた。見ると、白い軽のワンボックスカー、ホンダのアクティがスピードを績め、乗っている女性がこちらに激しく手を振っている。
なるほど、これがガンヂか……。
こと車に関しては、想像がほとんどあたっていた。あちこちぶつけた痕跡のある年季の入った車で、旅人としての好感が持てた。でも、今はそれより、テレビに興味がある。
「斉藤さん! 会えてうれしい」と興奮する彼女たちに「ごめん。今サッカーをやってて……」と事情を説明して、テレビ観戦を続けた。
思えば失礼な話である。
◆第5章 南西諸島編(341ページより)
2本の泡波を「差し入れです」と差し出した大泊さんは、若い男性と、同年代くらいの男性を連れていた。
「この男は田盛といいます。あのタモリは森田だけど、これは本物の田盛です。農業をやってるものだから、こいつに斉藤さんの耕うん機をあげたらどうかと思い、連れてきました」
大泊さんはそういって若い男性をぼくに紹介した。願ってもない話である。テラは農業機械なんだから、農業をしている方に使ってもらうのがいちばんだ。
開けば田盛さんはぼくと同年代だという。意志が固そうな力強い目が印象的だった。
「ぼくの耕うん機はテラといいます。大地や地球を意味する英語です。大地を排す耕うん機で地球を旅するから、テラと名づけました。ぼくのテラをよろしくお願いします」
ぼくは田盛さんに頭を下げてお願いした。「ふつつかな娘ですが……」と付け加えたい心境だ。
≪日本縦断オフィシャルガイド for Slow Traveler 西日本編≫
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